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2007.7.26 NATOのアフガニスタン派兵 タリバンは人質の解放と引替えに、アフガニスタンに駐留する約200人の韓国軍の即時撤退を要求しているが、治安維持を目的に、NATO(北大西洋条約機構)の主導によって、アフガニスタンには計37ヶ国から3万5千人の将兵が派遣されている。 主な国の派兵数は以下の通り。
米国 − 14750人、 英国 − 6500人
ドイツ − 3000人、 イタリア − 2500人 
2007.7.24 インド大統領 インドの大統領は、実質的な政治権限のない名誉職ではあるが、首相の任命や非常事態宣言の発令など、一定の権限を持つ。従来は与野党が統一候補を擁立する無風選挙なのだが、今回は09年に行われる下院選挙の主導権をにらみ、互いの疑惑を中傷しあう激しい選挙戦となった。前大統領のカラム氏(75)は、「ミサイルの父」と呼ばれる科学者で、国民からの人気が高く、再選を求める声も強かったが、連立与党は次の下院選挙が接戦になることを見越して、与党寄りの人物を推していた。新大統領のパティルは前ラジャスタン州の知事で、社会福祉や教育問題に尽力してきた人物。
2007.7.11 ムシャラフ大統領(63) パキスタンの現職大統領。軍人政治家である。1961年、陸軍士官学校に入学すると、特殊部隊への配属や印パ戦争に従軍した経験を持つ。参謀総長など、軍の要職を歴任し、1999年、クーデターによって、政権を掌握した。このクーデターは、パキスタン(イスラム教)とインド(ヒンドゥ教)の対立に、当時のシャリフ首相が(安易に)和平合意したという理由で起こされたものであるため、ムシャラフ大統領の支持者には、強いイスラム信仰者や過激派が多い。一方で、諸外国からはイスラム過激派への取締りを求められていた状況下で、今回の「軍突入」の判断は、ムシャラフ大統領にとって、厳しいものだった。今後は、宗教保守派が反発を強めるのは必至で、また過激派による報復テロも予想され、ムシャラフ政権とイスラムの関係は予断を許さない状況となった。
2007.7.9 モスク イスラム教の礼拝堂のことを指す。モスクは、イスラム教の教えに基づいて、1日5回の礼拝時間を知らせる呼びかけを行い、呼びかけが聞こえてくると、信者らは、仕事の手を休め(或いは店を閉めて)モスクへと集まり、お祈りをささげる。内部は幾何学的な模様で飾られていることが多く、お祈りを行う方角(マッカの方角)を示すものと、導師が説法を行う壇があるだけで、まさに礼拝を行うための場所である。さまざまな規模のモスクが存在するが、大きいものでは学校や病院といった施設を伴うものもあり、信者らの生活の場の一部(集会スペース)となっている。その建築美や装飾の美しさから、秀逸な建築物としても知られるものも多く、世界遺産に指定されているモスクもある。
2007.6.13 タクシン・チナワット(57) 元警察官であり、副業として数々のビジネスに手を出してきたが、ことごとく失敗し、数億円の負債を抱えるが、その後、携帯電話サービスのビジネスが大ヒットし、タイを代表するコミュニケーション会社にまで成長させた。やがて、タイ国一の富豪となったタクシン氏は政界に進出。自らが率いたタイ愛国党が、2001年の総選挙で勝利を収め、政権の座に就いた。元企業家であり、CEO的な手法を政治にも取り込んで、その経済政策が評価される一方で、一族のビジネスと政治の不透明な関係が、常に指摘されていた。昨年9月、国連総会出席のため、ニューヨークを外遊中に、軍が戦車や兵士を動員して、首相府など政府関係施設を制圧するクーデターが発生し、政権の座と国を追われた。
2007.6.6 カースト騒乱の背景 インドでは、カーストによる差別の解消として、指定した特定の下層カーストの中から、国立大学への入学や政府機関への就職に対し、一定の特別枠を設けて優遇している。例えば、中央政府機関の職員や国立大学の学生の22%、地方政府職員の37%までが、指定枠として、特定の下層カーストに割り振られているのが現状である。当然、この指定カーストに選ばれなかった、それ以外の下層カーストは強い不満を持ち、また一方で、特別枠により定員が減らされたことで、公平な競争が行われていないとして、上位のカーストからも反感を買っている。実際に「努力しても報われない」として、上位カーストの学生らによるデモが全国で起きている。今回の騒乱は、先の総選挙で勝った州首相が、選挙の際、「グジャール」の部族を指定カーストに登録することを公約したが、当選後も一向に登録される動きがないことに業を煮やした住民らによるものであった。
2007.6.1 インド IT産業や製造業を中心に経済成長を続け、ロシアやブラジルなどとともにBRICsの一角となっている。2007年度予算案では、インフラ整備への予算配分を増加。投資額は前年度40%増となっており、また今後5年間で道路や空港、港、鉄道などの整備が重点的に行われる。経済自由化後は関税が引き下げられるなどされ、貿易額が増加しGDPに与える影響力が大きくなっている。インド経済は、今世紀半ばには米国を追い抜き、中国に次ぐ世界2位の経済大国に成長するというレポートも発表されている
2007.5.28 アウン・サン・スー・チー女史(61) ビルマ建国の父」と呼ばれ、イギリスからの独立を主導したアウンサン将軍の娘で、ミャンマーの非暴力民主化運動の指導者。1985年には、京都大学へ研究員として来日しており、日本への馴染みも深い。学生、市民らによる民主化運動のリーダーとして活躍し、国民民主同盟(NLD)を結党。90年の総選挙で圧勝したが、軍事政権はその権力を移譲せず、国際的な非難を浴びた。以降、軍政側とアウン・サン・スー・チー側との対立が続いており、彼女は拘束・軟禁状態に置かれ、その政治活動を厳しく制限されている。91年にはノーベル平和賞を受賞した
2007.5.14 ジョゼ・ラモス・ホルタ氏 1976年、インドネシアによって武力併合された東ティモールでは、独立派が激しい抵抗を行い、政府軍と衝突。各地で殺人・放火・略奪などが起こり、国は大混乱に陥った。国連は多国籍軍を派遣し、事態の収拾を図るとともに、大統領選を実施し、東ティモールは21世紀初の独立国として、2002年に独立を果たした。独立後初の大統領選挙に勝利したホルタ氏は、ポルトガル人の父親とティモール人の母親を持つ57歳で、かつてはジャーナリストだった。76年のインドネシアの武力介入直前に国を離れ、99年に帰国するまで、国連代表など国外で独立運動のスポークスマンとして活動。96年、東ティモール紛争解決への取り組みを評価されて、ノーベル平和賞を受賞。独立時から外相を務め、盟友のグスマン現大統領に請われる形で、昨年7月、首相に就任した
2007.4.13 インドの弾道ミサイル 核弾頭搭載可能な中距離弾道弾として、「アグニ1」は射程距離700キロ、「アグニ2」は2000キロ、今回の「アグニ3」は、3000キロから5000キロとされている。中国の主要都市まで射程距離となり、核戦力において対等に近づいた。また、パキスタンとのミサイル開発競争でも優位に立つ。アメリカは暗黙の了解をしており、中国とのバランスを保つものとして、特に問題視しない方針
2007.4.9 東ティーモール 976年、インドネシアによって武力併合された東ティモールでは、独立派が激しい抵抗を行い、政府軍との衝突が続いていた。99年に行われた独立を問う国民投票では、独立賛成が約80%にものぼったが、独立に反対する民兵らが反乱を起こし、殺人や放火・略奪などで、国は大混乱に陥った。国連は多国籍軍を派遣し、事態の収拾を図るとともに、大統領選を実施し、東ティモールは21世紀初の独立国として、2002年に独立を果たす。しかし、地域間での待遇差による対立や独立後4年が経過したにもかかわらず、貧困や失業が減らないことへの不満は根強く、再び治安は悪化し、家を奪われるなどで約15万人が避難民となっている。失業率は50%を超え、国民の4割は1日0・55ドル(約65円)以下の収入しかないと言われている
2007.4.4 ソロモン諸島 オーストラリアの北東部、南太平洋のメラネシアにる島々を国土とする島国。1893年にイギリスの植民地になり、1976年に自治権を獲得、1978年にイギリす連邦内の独立国となった。1942年には日本軍と連合軍がガダルカナル島を巡って戦いを繰り広げた。自給自足的な経済と貨幣経済が共存しているが、経済格差は大きく、国家財政は破綻状態である
2007.2.28 インドと中国 インドと中国は、共に「社会主義体制をベースに市場経済を取り入れ、急速に発展している人口の多い国」という印象があるが、実際には両国は異なる点が多い。中国は共産党の一党支配体制であるため、民衆は党の決定に従う以外に選択肢はなく、一度、市場経済が導入されれば、それに適応せざるをえない。 故に、世界の工場として、一元的に、低い賃金で働く体制を作り上げることができた。一方、インドは民主主義を採用しているため、政党も多い。従って、政府の方針が変わっても、必ず、それに反対する勢力が台頭する。例えば、市場原理の導入によって格差が生じると、ストライキが頻発する等、一枚岩とはなりえない。また、カースト制度と呼ばれる、古くからの身分制度も自由競争の導入に対する障害であり、民衆の労働意欲を阻害する一因となっている。インドにとってのアドバンテージは、英語を母語とする地域が多いことで、このことはIT業界でのインドの優位性を高めるものであり、ソフトの開発などの面では、世界経済に大きな影響を与えている。人口の面では、中国が一人っ子政策を見直さない限り、インドが、2030年代には人口15億近くとなり、世界一になると予測されている
2007.2.20 印パ関係の歴史 インドとパキスタンは、元々、共にイギリスの占領下にある同じ国であったが、第2次世界大戦の終わりとともに独立することとなった。この時、ヒンドゥー教徒の国として独立したのがインドであり、イスラム教徒の国として独立したのがパキスタンである。当然、その過程では、さまざまな衝突が起こり、多くの難民や争いによる犠牲者を生んだ。特に、北部のカシミール地方の帰属をめぐっては、激しく対立し、両国の関係は極度に悪化していった。1970年までに3度の戦争を起こし、ついには、両国共に核を保有するに至っている。70年以降は、政治的には安定した状態が保たれており、大きな戦火を交えることもないが、イスラム過激派によるものと見られるテロや、それに対する報復テロが頻発している。2001年のインド国会議事堂襲撃事件では14名が死亡。昨年7月にムンバイで起きた連続列車爆弾テロでは、約200名が犠牲となった
2007.2.19 ムハマド・ ユヌス氏(66) バングラデッシュの経済学者。 チッタゴンの大学を卒業後、アメリカにわたり、経済博士号を取得するが、理論と(特に貧困地域での)実体経済との乖離にショックを受ける。1976年、ある小さな山村で、竹細工の制作によって生計を立てていた女性と出会った時、この女性が材料費の調達を高利貸に頼っており、わずかな利益しか出せないことを知る。そこで、彼女に事業に必要な金額を尋ねると、返ってきた答えは「6ドル」。ユヌス氏が6ドルを彼女に融資することにより、やがて、彼女の収入は、これまでの数十倍となった。この出来事をきっかけに、1983年、正式にグラミン銀行を発足させ、マイクロクレジットと呼ばれる、主に開発途上国の貧困に苦しむ女性を対象に、少額の融資を行い、独立して自らの力で収入を得ることができる様、援助を行なっている。グラミン銀行では、借り手に担保を求める代わりに、借り手5人による互助グループを作り、それぞれが他の4人の返済に責任を負うシステムを構築し、成功している。貸付金の返済率は98%を超える
2007.1.24 ミャンマー軍事政権 ミャンマーでは、1950年代から約30年にわたって、軍事独裁体制が続いたが、1989年、軍部でクーデターが発生し、その後は、国家法秩序回復評議会による軍事政権が樹立された。同政権は、総選挙の実施と民政への移管を公約としたため、全国で何百もの政党が結成され、国民の民主化への要求が高まりを見せた。 中でも、民主化指導者であるアウン・サン・スー・チーは、民衆から絶大な支持を集めた。しかし、政権は民主化勢力の台頭を危惧し、スー・チー氏を自宅に軟禁。さらに、1990年の総選挙では、スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したにもかかわらず、同政権は、この選挙結果を無視して、政権を譲ろうとせず、約束を反故にしたまま、今なお独裁を続けている。2005年、首都をヤンゴンから、人口わずか10万人の内陸部ピンマナに移したことは、アメリカなどからの攻撃に備えてのこととの指摘が多い
2007.1.15 ミャンマー問題 ミャンマーはインドシナ半島に位置し、かつてはビルマと呼ばれた国で、1989年より、現在の呼称「ミャンマー」を使用している。昨年、首都をヤンゴンから、内陸部の人口わずか10万人の都市(ビンマナ)に移し、行政地区を一般の人々の立入禁止としたことが、さまざまな憶測を呼んだ。(万一、アメリカからの攻撃にあった場合や市民による大規模なデモが発生した場合、沿岸都市よりも内陸部の方が処しやすいことが理由との声が多い)1962年以来、軍事独裁体制が続いており、民主化の遅れている国として、欧米諸国からの批判が続いている。特に、アウン・サン・スー・チー女史を軟禁し、政治活動を制限する行為は、世界各国からの非難の的。1988年に成立した現軍事政権と民主化を求める野党国民民主連盟(NLD)の対立は、90年の総選挙で、スー・チー女史率いるNLDが圧勝したにもかかわらず、 政府は選挙結果を無視し、政権移譲を行っていない
2006.12.7 フィジー 人口約85万人。 南太平洋に位置し、面積は四国とほぼ同じ大きさ。300を超える島々からなる島しょ国家。1874年、イギリスが植民地化を行い、多くのインド人労働者を移民させて、プランテーションに従事させた結果、現在では、人口の約51%がフィジー先住民系、約44%がインド人系に分かれ、現実に政治面でフィジー系の優遇政策が取られていること等から、両者の対立は絶えない。1999年に初のインド系首相が就任するが、翌年、フィジー系の武装勢力が、首相らを人質に国会議事堂を占拠する事件が発生している
2006.12.4 台風 台風は熱帯の海上で発生する低気圧(熱帯低気圧)のうち、西太平洋(赤道より北で東経180度より西の領域)に存在し、最大風速がおよそ1秒17m以上のもののこと。台風は、毎年約30個発生し、10個前後が日本に接近する。一方、同じく熱帯低気圧だが、北東太平洋(西経140度と180度の間)と大西洋にあるもので、最大風速がおよそ1秒33m以上のものをハリケーンと呼ぶ。同様に、南太平洋やインド洋にあるものは、サイクロンと呼ばれる
2006.11.1 バングラデシュ 18世紀、イギリスの植民地となるが、インドとともに独立運動に参加。1947年、イギリスからの独立を果たすことになるが、その際、ヒンドゥー教地域はインド、イスラム教地域はパキスタンとして独立。イスラム教徒の多いバングラデシュはパキスタンへの帰属を決め、東パキスタンと呼ばれた。インドをはさんで東西に分かれたパキスタンは、同じイスラム教を信仰する地域ではあるが、言葉も民族も異なることから対立を起こし、内乱が続いた。結局、インドが東パキスタンの独立を支持し、1971年にバングラデシュとして独立した。しかし、現在では、人口の爆発、政治の腐敗、多発するサイクロンと洪水の被害により、最貧国の1つとして挙げられている。2004年には、国土の約60%が洪水に覆われるという大きな災害を受け、600名を超える死者が出た
2006.9.21 ソンティ陸軍司令官(59) タイ国軍史上、初のイスラム教徒の司令官。陸軍入隊後はエリートコースを歩み、昨年9月、タクシン首相から国軍の事実上のトップとも言える陸軍司令官に任命された。タイでは、2004年から南部3県でイスラム教ゲリラによるテロが頻発。南部の分離・独立の気運が高まっており、ソンティ司令官の就任は、この南部問題に対処する切り札として目されていた。しかし、力による制圧を主張するタクシン首相との間で次第に意見が対立。結局は、首相が軍部に南部政策の実権を与えなかったことから、軍部内に不満がくすぶっていた
2006.9.12 アジア欧州会議(ASEM) シンガポールのゴー首相(当時)が、アジアと欧州諸国の関係強化を目指して、首脳同士が直接対話する会合を、当時EUの議長国であったフランスのバラデュール首相に提案した結果、1996年に実現した。第1回の会合は、タイのバンコクで開かれ、アジアからはASEAN(東南アジア諸国連合)7ヶ国と日本・韓国・中国が、欧州からは15ヶ国の計25ヶ国の代表が一同に会し、両地域の包括的な対話が行なわれた。2004年からは、EUに新規加盟した10ヶ国とアジア側からは新たに3ヶ国が加わり、今回はインド、パキスタン、ブルガリア等も参加して計43ヶ国に、EUとASEAN(東南アジア諸国連合)の2機関で構成される大会合となった。2年に1度の首脳会合の他に、外相など各閣僚同士の会合が開かれている
2006.7.19 ジャワ島とプレート 首都ジャカルタのあるインドネシアで最も人口の多い島。西側には、一昨年末、大規模な津波の発生したスマトラ島、東は、観光地として名高いバリ島に挟まれたところに位置する。地球の表面は、「プレート」と呼ばれる10数枚の厚さ100kmほどの岩盤で覆われているが、地震はプレートの境目付近で発生することが多い。ジャワ島は、ユーラシアプレートにインドオーストラリアプレートがもぐりこんだ形で、2つのプレートの境界に位置しており、一帯は地震の多発地帯となっている
2006.7.13 印パの関係 インド、パキスタン両国は、1947年、同時にイギリスから分離・独立するやいなや、北西部の山岳地帯カシミール地方の帰属をめぐり、戦争に突入した。この時は、国連の介入によって停戦ラインが引かれ、カシミール地方は、両国に分割された。その後も、2度の全面戦争を経て、両国の衝突は途絶えることがない。インドのヒンドゥー教徒とパキスタンのイスラム教徒の対立構造は、1974年にインドが核兵器の開発に成功すると、98年には、パキスタンが核実験に成功するなど、常に反目してきている。先日のインドのミサイル実験や、アメリカがインドに民生用原子力技術の分野での協力を約束したことなどの最近の一連の流れが、パキスタンを刺激していたことは間違いない
2006.7.11 インドと核 インドは核を保有しており、核兵器の拡散防止を目的に世界 188ヶ国が加盟する核拡散防止条約(NPT)に 加盟していない。にもかかわらず、今年3月にインドを初訪問したブッシュ大統領は、これまで民生用原子力をめぐる技術協力や関連物資提供を禁じてきた従来の政策を転換し、核拡散防止条約未加盟国のインドへの核協力を推進することで合意している。核技術の平和利用を、インドに対しては「認め」、イランや北朝鮮に対しては「断固認めない」態度は、完全な二重基準(ダブルスタンダード)と言える
2006.6.26 東ティモールの騒乱 東部の出身者が要職に就く一方で、西部出身者は冷遇を受けているとして、政府軍の一部の兵士が待遇改善を要求して部隊を離脱して、反乱を起こした。反乱は、大規模な暴動へと発展し、政府の要請を受け、オーストラリアの部隊が派遣されるなど、5月末からは、各地で政府軍対反乱勢力の衝突が続いている。グスマオ大統領は、首相に対し、一連の騒乱の責任を取って「辞任」する様に迫っていた
2006.6.13 マハティール前首相 1981年から22年間、首相を務めたマレーシアの第4代首相。同氏は、欧米よりも、日本や韓国の経済発展に見習おうと「ルックイースト政策(東を見よ)」を推し進め、マレーシアにめざましい経済成長をもたらした。反面、歯に衣のきせぬ辛口の発言が災いし、「独裁的」と欧米や周辺国からの反発を買うことが、しばしばあった。大の親日家であり、2人の子供を日本に留学させている
2006.5.29 ジャワ島 インドネシアの大スンダ列島にあるこの島はインド人が開拓した。サンスクリット語のジャワ(java)「大麦」が実る島へ変えていったことからジャワ島と呼ばれるようになる。ジャワ原人は、1981年この島で化石が発見され、「ピテカントロプス=エレクトス」と命名された原人の通称である 
2006.5.26 東ティモール  16世紀にポルトガルの植民地となり、撤退後はインドネシアが併合したが、2002年5月に独立。人口約95万人でカトリック教徒が90%を占める。騒乱の背景には、地域対立があり、東部出身者が政府などで要職につく一方、西部出身者は冷遇されているという不満を訴えている。又、独立後4年が経ったにもかかわらず、貧困や失業が減らない不満が根強く、騒乱を拡大する要因になっている
2006.5.9 タイの政局混迷 タクシン首相が、一族が保有する会社の株式をシンガポールの会社に売却し、2000億円を超える売却益を得ていたことが表面化。 不透明な取引に対して、民衆の首相退陣要求が強まった。2月、首相は民意を問うとして、下院を強行に解散。 一方、民衆の後押しを受けた野党は、総選挙をボイコットし、 徹底抗戦の態勢を作った。選挙は4月2日に行われ、与党の得票率が過半数を超えたために、辛うじて有効と見なされたが、民衆の怒りは収まらず、抗議行動は激しさを増していった2日後、事態収拾のため、タクシン首相は退陣を表明した。7月に行われると見られる、やり直し選挙では、野党も参加の意思を表明しており、約3ヶ月に及んだ政局の混乱は収拾へ向かうと見られている
2006.5.8 シンガポールの政治体制 シンガポールでは、国民の政治への参加や言論の自由を大幅に制限している。それは、発展途上国が先進国に追いつくためには、議会制民主主義は、むしろ邪魔であり、テクノクラートと呼ばれる高度な専門知識を持った政治集団に任せた方が良いという考え方に基づいている。「建国の父」リー・クアンユーは、こうした考え方の下、関税の撤廃・街の美化(チューインガムの禁止、落書きはムチ打ち刑)等のユニークな政策を、独断的に進め、シンガポールにめざましい発展をもたらした。1965年の独立後に生まれた若い世代も、この考え方を 概ね支持していることが、今回の選挙でも実証されたと言える
2006.4.28 ネパール共産党毛沢東主義 共和制の実現をめざして、ネパールの王制を打倒し、国王の国外追放、処刑を主張する非合法組織のこと。毛派とも呼ばれ、主に貧困層からの厚い支持を受けて、多くの農村や山間部を実効支配し、国王派(国軍)と激しい衝突を繰り広げている。昨年2月、ギャネンドラ国王は、首相を始め全閣僚を解任し、非常事態を宣言。 以降、自ら直接統治を行っていた。国王の強権政治に反対する議会派(主要7政党)と、国王派(国軍)、そして毛派の3つが複雑に絡み合い、ネパールの政治は完全にマヒ状態と言える
2006.4.19 ドイモイ(刷新) 社会主義に市場経済のシステムを導入したベトナムの改革・開放政策のこと。ドイモイとは、ベトナム語で「刷新」を意味している。86年に決定され、今年で20年を迎えるが、その間、市場メカニズムの導入、価格の自由化、外資の積極的取入れなど、主に経済面で大きな成果を挙げている。過去3年間のベトナムの経済成長率は、平均で7.5%を記録し、アジアでは中国に次いでの高水準にある
2006.4.10 国王の直接統治 ネパールのギャネンドラ国王は昨年2月、国営テレビで「内閣が総選挙実施に失敗し和平も達成できなかった」と批判。非常事態を宣言し、首相ら全閣僚を解任、自ら直接統治すると発表した。今年2月に入って、地方選が行われたが、国王の強権政治に反対する主要7政党がボイコットし、半数以上の選挙区に候補者がいないという異状に陥り、政治は完全に混乱をきたしていた。ネパールでは、2001年、カトマンズの王宮内で皇太子が両親である国王夫妻らを射殺して自殺するという事件が発生し、国王の弟のギャネンドラ王子が新国王に即位していた
2006.4.4 タイの政治混迷 今年1月、タクシン首相は一族が保有する会社の株式をシンガポールの会社に売却し、2000億円を超える売却益を得たこのことが発端となり、市民らの不満が噴出。税金逃れや自らのビジネスと政治を混同している不透明な取引と糾弾し、首相の退陣を求めて、大規模な抗議デモを繰り返した。一方のタクシン首相は、民意を問うとして、下院を解散。主要な野党がボイコットを決めたため、今回の選挙は事実上、首相への「信任投票」の形となった。ボイコットの影響で、400ある選挙区のうち、与党候補1人だけが立候補した選挙区は278にも上り、選挙の正当性が問われている
2006.3.6 パキスタン 1947年にイギリスから、インドと共に独立したイスラム教国家。国土をインダス川が流れ、世界4大文明の1つ、インダス文明が興った地域でもある。 隣国インドとは、過去に3度、戦争を起こしており、軍事的緊張状態が続いている。両国共に、地下核実験を行い、核兵器を保有しているとされている
2006.3.1 タクシン首相 元警察官で、副業として数々のビジネスに手を出してきたが、ことごとく失敗。数億円の負債を抱えるが、その後、帯電話サービスのビジネスが大当たりし、タイを代表するコミュニケーション会社となった。やがて、タイ国一の富豪となったタクシン氏は、政界に進出。自らが率いたタイ愛国党が、2001年の総選挙で勝利を収め、政権の座に就いた。元企業家であり、CEO的な手法を政治にも取り込んで、その経済政策が評価される一方で、一族のビジネスと政治の不透明な関係が、常に指摘され、批判を受けることが多い
2006.2.28 ピープルパワー 1986年の大統領選で、長年、独裁体制を強いていたマルコス大統領に対し、暗殺された民主派の上院議員ベニグノ・アキノ氏の夫人、コラソン・アキノ氏が出馬。マルコス大統領側が勝利宣言を出したが、アキノ陣営は選挙に大規模な不正があったと抗議。 これに呼応する形で、マルコス独裁に不満を抱いていた軍や市民らが、「マルコス打倒」を叫び、マニラの町は、数十万の群衆で一気に膨れあがった。この市民らがマルコス政権を崩壊させた政変を「ピープルパワー(革命)」と呼んでいる。同様に、2001年、汚職の一掃を訴えて民衆が蜂起しエストラーダ大統領を辞任させた政変を「ピープルパワー2」と呼ぶこともある
2006.2.20 レイテ島 フィリピンの主要11島のひとつで、中東部に位置する島。静岡県とほぼ同じ面積があり、約190万人が住んでいる。1944年の第2次世界大戦で、日本軍とアメリカ軍の大激戦地となり、多数の犠牲者が出たことで知られている
2005.12.1 タイ南部のテロ マレーシア国境近くのパタニ、ヤラ、ナラティワットのタイ南部3県では、住民の多数を占めるイスラム教徒が70年代より、分離独立を求めて、武装勢力による国軍との戦いを続けている。これに対して、タイのタクシン首相は強硬姿勢を崩さず、厳しい締め付けを行っており、テロ事件が連日の様に繰り返されている。仏教徒が人口の95パーセントを占めるタイにおいて、南部に集中しているイスラム教徒が差別されているという感情を抱いていることや、他の地域と比べて経済的に貧しいという現状が背景にある
2005.11.29 釈迦と仏教 紀元前5世紀ごろ、現在のインド北部あたりで、釈迦によって開かれた宗教。仏教とは、悟りを開いた人、真理に目覚めた人、すなわち仏となるための教えのこと。アジアから広く世界各地へと伝わり、現在では、世界中で4億人近い信者がいると言われている
2005.11.28 アウン・サン・スー・チー 「ビルマ建国の父」と呼ばれ、イギリスからの独立を主導したアウンサン将軍の娘で、ミャンマーの非暴力民主化運動指導者。1985年には、京都大学へ研究員として来日しており、日本への馴染みも深い。学生、市民らによる民主化運動のリーダーとして活躍し、国民民主同盟を結党。90年の総選挙で圧勝したが、軍事政権は権力を移譲せず、国際的な非難を浴びた。以降、軍政側とアウン・サン・スー・チー側との対立が続いており、彼女は拘束・軟禁状態に置かれ、その政治活動を厳しく制限されている。91年にはノーベル平和賞を受賞している
2005.11.1 インドとパキスタンの関係 現在のインドとパキスタンは、ムガール帝国の領土であったが帝国崩壊後は、共にイギリスが統治することとなった。イギリスは、この地域の住民がヒンドゥ教徒とイスラム教徒に分かれることを巧みに利用し、互いに反目させることで、イギリスへの抵抗を少なくすることを試みた。第2次世界大戦が終わり、インドとパキスタンは独立を果たすが、インドが主にヒンドゥ教徒の国家として独立したのに対し、パキスタンはイスラム教国家として出発した。そのため、インド側に住んでいたイスラム教徒、パキスタン側に住んでいたヒンドゥ教徒は、それぞれ大移動をすることとなり、その過程で多くの衝突・略奪・殺害があったとされる。以来、両国は対立してきた
2005.10.3 ジェマ・イスラミア(JI) イスラム共同体(同胞団)を意味し、アルカイダとの結びつきが噂される東南アジアのイスラム過激組織。インドネシア、マレーシア、フィリピン南部を統合するイスラム国家の樹立を目指している。アフガニスタンに渡って軍事訓練を受けた義勇兵が中心で、アルカイダとの連携が深いとも言われている。2002年のバリ島ディスコ爆弾テロや、2003年のジャカルタの米国系高級ホテル・マリオット爆弾事件などに関与し、多数が逮捕された
2005.9.29 ボートピープル 1975年、ベトナムに社会主義体制が成立した際、迫害を受けることを恐れた人々は、漁船などの小船に乗って次々にベトナムを脱出。その数、約144万人と言われている。1979年、国連難民高等弁務官事務所とベトナム政府で交わされた覚書に基づき、難民の大部分は受入国に定住、もしくは、ベトナムへと送還された。当時、日本へも13769人が到着している
2005.9.9 台湾新幹線 台北と台湾南部の高雄間(約345キロ)を最速90分で結ぶ高速鉄道。12両編成で、最高時速は300キロ。車両は東海道・山陽新幹線「のぞみ」型車両を改良した700T型が導入されている。計画では、民間企業が35年間運営した後、政府に引き渡されることになっている。ちなみに、台北〜高雄間の運賃は約4500円となる予定
2005.9.7 アロヨ大統領の不正疑惑 昨年5月の大統領選挙時に中央選管に電話して、結果を不正に操作しようとした疑い。この電話の盗聴テープが存在し、アロヨ大統領自身も「自分の声」と認め、電話したことについては「判断の誤りだった」として謝罪したが、不正工作は働き掛けていないと釈明した。また、夫と息子、義理の弟が違法賭博業者から裏金を受け取っていた疑惑も浮上している
2005.9.6 インドネシアの国内航空 数多くの島々からなり、広大な面積を持つインドネシアでは、飛行機が重要な移動手段となるため、国内線網が発達している。ところが、原油価格の値上がりと過当な価格競争により、経営が厳しい航空会社も多いことが指摘されている。マンダラ航空は、1969年に国軍関係団体が設立した民間航空会社で、国内線を専門に運航しており、いわゆる「格安航空」の先駆け的存在
2005.8.29 ミャンマー 1962年以来軍事独裁体制が続いており、民主化の遅れている国として、欧米諸国からの批判が続いている。特に、アウン・サン・スー・チー女史を軟禁し、政治活動を制限する行為は、世界各国からの非難の的。 1988年に成立した現軍事政権と民主化を求める野党国民民主連盟(NLD)の対立は、90年の総選挙で、アウン・サン・スー・チー女史率いるNLDが圧勝したにもかかわらず、 政府は選挙結果を無視し、政権移譲を行っていない
2005.8.23 アチェ和平合意 1976年のGAMの独立宣言以来、30年間で約1万5000人の死者を出した独立紛争は、今月15日、両者が和平協定に調印し、収束へと向かい始めた。協定では、GAMが独立要求の棚上げ・武装解除と引き換えに、インドネシア政府が、GAMに広範な自治権を認めることなどが定められた。30年続いた紛争が、一転、収束へと向かったのは、昨年12月に起きたインド洋大津波により、アチェ州だけで約17万人の犠牲者が出たことで、GAMが多くの支持者を失ったことが、背景となっている
2005.7.20 タイ南部でのテロ事件 タイ南部のイスラム教徒が多数を占める地域で、 同地域の分離独立を標榜する過激派と治安当局との対立が激化。 今月14日には、タイ南部ヤラー県の送電設備が爆破され、その後、停電中に警察検問所、ホテル、スーパーマーケット等が 同時多発的に爆破、放火、銃撃が行われ、多くの死傷者が 出ていた
2005.7.14 パキスタン 1947年にイギリスから、インドと共に独立したイスラム教国家。 国土をインダス川が流れ、世界4大文明の1つ、インダス文明が興った地域でもある。 隣国インドとは、過去に3度、戦争を起こしており、軍事的緊張状態が続いている。両国共に、地下核実験を行い、核兵器を保有しているとされている
2005.6.17 カンボジア タイ、ラオス、ベトナムに挟まれたインドシナ半島の国。1953年、シアヌーク国王をたて、カンボジア王国としてフランスから独立を果たすが、隣国ベトナム軍の侵攻や共産主義の台頭で、内戦に突入。 その間、国王の亡命や大量虐殺がおこるなど、内戦は20年以上にわたって、泥沼化した。 1991年、パリ和平協定が結ばれ、国連の監視の下での総選挙が行われ、新生カンボジアとして、政治的安定をめざしている
2005.6.8 陳水扁・台湾総統 国民党の李登輝に代わって、2000年の選挙では、民進党の陳水扁が、当時49歳の若さで当選した。 貧しい農家の生まれながら、台湾大学を卒業し、弁護士から政治家へと転身。 台北市長も務めたことがある。「台湾独立派」として知られ、台湾独自の憲法制定など、台湾の自立化(台湾化)をめざしていることから、中国側の不信感は強く、警戒されている
2005.5.23 モンゴル 日本の約4倍の面積を持つが、厳しい気候と地形のために、 人口は約250万人という山岳国家。 人口密度は1平方キロあたり、2人以下と極めて低い。中国とロシアの間に位置し、長らく清朝の支配下にあったが、辛亥革命を機に、自治政府を樹立。その後の中ソ対立では、ソ連側についたため、「ソ連の16番目の共和国」と呼ばれていた。1990年、ソ連・東欧の変革を受けて、人民革命党が一党独裁を放棄。92年には、市場経済への移行をうたい、社会主義と決別した
2005.5.20 東ティモールの独立運動 1976年、インドネシアによって武力併合された東ティモールでは、独立派が激しい抵抗を行い、政府軍との衝突が続いていた。 99年に行われた独立を問う国民投票では、独立賛成が約80%にものぼったが、この前後の時期に、殺人や放火・略奪などで、国は大混乱し、1500人が犠牲になる大量虐殺が発生。 国連は、多国籍軍を派遣し、事態の収拾を図るとともに、現在まで、平和維持活動(PKO)を行い、東ティモールの安定に寄与している。日本も、自衛隊約2000名を派遣していた
2005.4.12 インドのIT産業 広大な国土と多くの人種を持つインドでは、イギリスに統治されていた経緯もあり、英語でコミュニケーションを取ることに慣れており、英語のレベルが高い。 コンピューター(特にソフト)産業が発展する素地ができていたと言える。インド政府は、80年代後半から、コンピューター産業の発展と振興に力を入れ、外資への優遇措置などの政策を取ってきた結果、バンガロールやハイダラバードなどは、「インドのシリコンバレー」と呼ばれるまでに成長した。 また、堪能な英語を活かし、コールセンターなど先進国企業の事務受注も伸長しており、最近では、中国が「世界の工場」なら、インドは「世界のオフィス」という呼び方も聞かれまでになった
2005.3.30 津波早期警戒システム 1月に神戸で開かれた国連防災世界会議で、インド洋の津波早期警戒システムの導入が決定されたが、まだ構築されていない。その間、暫定措置として、日本の気象庁とアメリカの太平洋津波警報センターが協力して、M7.0以上の地震が発生した際には、インド洋沿岸国に津波に関する情報を提供することになっていた。 今回は、この連携プレーにより、地震発生から約15分後には、関係国に対し、「地震発生」の第一報が送られ、約1時間後には、津波の予想到達時間の情報が送られた
2005.3.29 インド洋の津波 インド洋大津波による発生から3ヶ月。各国政府や公衆衛生局の発表に基づく、死者・行方不明者数の合計は、28万8376人にまでのぼる。 その内、インドネシアでの被害者が22万人以上。 被害は、広くアフリカ東部にまで及び、137人が死亡したと報告されている
2005.3.22 身代金相場 マラッカ海峡で拉致された場合の、身代金の相場は、一般に「「1人1000万円程度」と言われており、身代金を受け取る専用の銀行口座もあり、かなりシステム化されているという。犯人は、口座への入金を確認後、離島などに人質を置き去りにするケースが多い
2005.3.15 マラッカ海峡 マラッカ海峡は、マレー半島(マレーシア)とスマトラ島(インドネシア)を隔てる海峡で、年間約5万隻の大型船舶が往来する世界経済の大動脈。 可航幅が数キロの場所もあり、以前より海賊事件が多発していた。 昨年、確認された海賊事件は37件で、36人が拉致され、4人が死亡している。スマトラ沖地震による津波で、大きな被害を受け、最近は海賊事件が減少していた
2005.3.4 ジェマ・イスラミア(JI) 東南アジアのイスラム過激組織。インドネシア、マレーシア、フィリピン南部を統合するイスラム国家樹立を目指す。 アフガニスタンに渡って軍事訓練を受けた義勇兵が中心で、アルカイダとの連携を深めたとも言われている。2002年のバリ島爆弾テロや、2003年のジャカルタの米国系高級ホテル爆弾テロなどで多数が逮捕された
2005.2.2 ネパール 中国とインドに挟まれた内陸の王制国家。人口は約2500万人。2001年に、王室で皇太子が発砲し、国王らを射殺し、自らも自殺するという事件が発生した。 現在の国王は、故国王の弟。96年ごろから、王制打倒をめざす共産党毛沢東主義派が、各地で武装闘争を開始し、内戦に近い状態にある
2005.1.17 春節(旧正月) 旧暦の1月1日のことで、毎年変わり今年は2月9日にあたる。韓国・中国・台湾など、アジアの国々では、旧正月を祝うところが多い。特に、国土が大きく、交通手段が発達していない地方部からの出稼ぎ者が多い中国では、春節に長く(1〜3週間程度) 休むことが一般的。日本では、明治以降、太陽暦が採用されており、旧正月を祝うことは少なくなった
2005.1.05 被災国緊急支援会議 ASEAN(東南アジア諸国連合)の主催で、今回の地震・津波による被災国と支援国との、緊急首脳会議が6日、ジャカルタで開かれる。 既に約40ヶ国から、計20億ドルの援助資金提供が表明されているが、効率的な救援活動のために関係各国の調整が必要とされることから、今回の緊急会議が決定した。 国連のアナン事務総長を始め、パウエル国務長官、イギリスのストロー外相や中国の温家宝首相らが出席の予定。日本からは小泉首相が出席する。日本は、総支援額の4分の1にあたる計5億ドルの無償援助を表明している
2005.1.06 自衛隊の海外災害援助 1992年、国際緊急救助隊派遣法が改正され、自衛隊の参加が可能となった。 以来、ハリケーン災害の起きた南米ホンジュラスや、大地震があったイランなど、過去4度にわたり、同法による自衛隊の海外災害救助活動が行われてきた。 99年のトルコ大地震の際には、海上自衛隊約400名が派遣されたが、今回の1000人規模は過去最大となる。 今回も日本は、帰国途中にシンガポール沖を航海していた護衛艦3隻を、急遽、プーケット島に派遣するなど、迅速な対応を見せている
2004.12.22 李登輝・前台湾総統(81) 1923年台北の生まれ。84年に副総統となり、蒋経国総統の死亡により、台湾人(国民党が南京から来る以前から、台湾に住んでいた人達という意味)で初めての総統となった。台湾の改革・民主化を推進し、国民から絶大な人気を誇った。96年には、総統の国民直接選挙を実現させた。99年、中国と台湾の関係を「特殊な国と国の関係」と表現したことから、中国政府は、李登輝を「独立推進派」と非難し、警戒をしている
2004.12.13 台湾の独立 台湾は、辛亥革命で誕生した中華民国をルーツとし、1949年に毛沢東率いる中国共産党との内戦に破れた蒋介石が、台北へと逃れて以降、台湾・澎湖諸島・金門・馬祖を実効支配している。1971年からの米中接近で、中国が国連代表権を獲得したことから、72年に日本と断交。79年には、アメリカとも断交した。永年、中国と「どちらが正統中国か?」を争ってきたが、1999年に台湾出身の李登輝が「中台は特殊な国と国との関係(二国論)」を唱え、台湾化(独立への)の動きが加速していた。しかし、現在の中台関係は、既に欠かせない経済的パートナーとなっており、今回の選挙で、民意は、「台湾独立」という政治的イデオロギーで対決することよりも、「現状の安定」という現状維持路線を選んだ
2004.12.3 台湾の国民党 1949年、毛沢東の中国革命により、中華人民共和国が成立。内戦に敗れた蒋介石率いる国民党政権は、台湾に逃れ、以後、台湾にて政治を行うことになる。蒋介石・蒋経国の下、永年、中華人民共和国と、「どちらが正統な中国か?」を争ってきた。一方、台湾の中では、従来から台湾に住んでいた人々(本省人)と国民党と共に中国から渡って来た人(外省人)との間に溝が生まれ、衝突が繰り返されてきた。1988年に本省人の李登輝が総統となり、国民党は大きく民主化・台湾化へと動き出したが、2000年3月の総統選で野党・民進党に敗れて、政権の座を明け渡した
2004.11.30 ASEAN
(東南アジア諸国連合)
ベトナム戦争の最中、1967年に親米反共の連合体として、タイ、インドネシア、フィリピン、マレーシア、シンガポールの5ヶ国で設立され、その後にブルネイが参加。冷戦終結後はベトナム、ラオス、ミャンマー、カンボジアが加わり、計10ヶ国となった。世界で最も成功した途上国の地域協力機構と言われているが、先に加盟した先進6ヶ国と後発4ヶ国の間では、平均で20倍最大100倍を超える経済格差が存在している
2004.11.18 カシミール地方 インド、パキスタン、中国の国境に位置し、印パ独立以前は藩王国として、イギリスの統治下にあった。 本州とほぼ同じ面積を持つ。1947年の印パ独立の際、住民の圧倒的多数がイスラム教徒であることから、パキスタンが領有を主張したが、ヒンドゥ教であった当時の藩王が、インドへの帰属を宣言し、紛争へとつながっていった。国境紛争であると同時に、イスラム教とヒンドゥ教の両過激派の争いという側面が強い。インドのカシミール州の兵力は、20〜50万人とも言われている
2004.10.21 インドネシアの政権抗争 第2代大統領スハルトが、クーデター(9月30日事件)により、初代大統領スカルトから、政権を奪って以降、スハルト体制が32年にわたって続いていた。しかし、政府の要職者を身内で固めたり、一族のファミリービジネス不正蓄財問題から、国民の不満が噴出し、98年、辞任に追い込まれた。以降、ハビビ、ワヒドと短期政権が続き、2001年、初代スカルノ大統領の長女であるメガワティが大統領に就任した。
2004.10.20 ミャンマー民主化への道 経済制裁を続ける欧米の圧力に屈する形で、昨年8月、ミャンマー軍事政権は、軟禁の続くアウン・サン・スー・チー氏との接触窓口でもあり、穏健派で知られるキン・ニュン氏を首相に起用した。キン・ニュン首相は、「民政移管ロードマップ」を発表し、国民会議の再開・新憲法の草案起草等、7段階の民主化政策を進めてきたが、そのことが国内外での、民主化の期待を高めた結果となり、軍事政権強硬派内でいら立ちが募っていた
2004.10.17 ハミド・カルザイ(46) パシュトォン人で、祖父・父ともに国会議員という名門家の出身。ソ連のアフガン侵攻の際には、反ソ連のゲリラに参加したこともある。その後、ラバニ大統領の下で外務大臣、タリバーン政権時には、国連大使を務めた。1957年生まれ
2004.10.15 シアヌーク国王 1922年生まれ。大国の狭間で苦悩するカンボジアを象徴する様な起伏に富んだ政治生命を送る。18歳で国王に即位するも、33歳の時、父に王位を譲り、自ら政党を結成し首相となる。左寄りの外交に対し、米国の支援を受けたロン・ノルのクーデターが発生し、北京に亡命。75年、ポル・ポト派が政権を取り、帰国を果たすが、王宮内に幽閉されてしまう。78年、今度は、ベトナムのカンボジア侵攻により、再び北京に亡命。その後帰還し、93年にカンボジア王国の樹立にともない、初代国王となった
2004.10.8 アフガニスタン 元来は、ザヒル・シャー国王を中心に、多数の遊牧民族からなる国家であったが、東西冷戦下にあった旧ソ連が、1979年にアフガニスタンに侵攻し、以来、ソ連の統治が続き、多くの難民が生まれた。ソ連撤退後は、各部族ゲリラによる内戦が続いたが、96年にイスラム原理主義を掲げたタリバーンが政権を取った。女性の就学・就職を禁じたり、テロ組織を受け入れる等、国際社会から孤立したことが、9/11事件へとつながった
2004.10.5 スハルト インドネシア第2代大統領。1965年のクーデター事件により、初代大統領スカルトに代わり、政権を取って以降、32年にわたり、独裁体制を敷いた。汚職・腐敗の蔓延、スハルト一族の企業に利権が集中したことから、民衆の不満が募り、各地で暴動が広がった。98年に辞任





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