| 名品・モノ |
トリビア |
| 修正液 |
60年代までのアメリカでは、女性の職業と言えば、秘書(事務)を指し、女性は、その能力や学歴よりも、いかに「早く」「正確に」タイプを打つかで評価されました。女性たちは、ミスタイプをしてはいけないという強迫観念に、常におびえていたのです。 小さな子供をかかえて離婚したベティは、働きに出ざるをえなくなり、秘書の仕事を始めます。しかし、新しいタイプ機に慣れていなかった彼女は、ミスタイプをしてしまいます。どうしても仕事を失いたくなかった彼女は、翌日、白のテンペラ画用の塗料を小さなマニキュア瓶に詰め、事務所に 持っていき、誤字を塗りつぶしたのです。 やがて、この噂は広がり、友人や事務用品業者から売ってほしいと言われるまでになりました。彼女は退職し、自宅の台所を使って、小さな息子と共に瓶詰めをして、注文にこたえていきます。 数年後、「修正液」は口コミによって大ヒットし、アメリカの文具店になくてはならない商品となりました。 やがて、この会社は髭剃りで有名なジレット社に買収され、大金持ちとなった彼女は、亡くなる時、この息子に50億円もの遺産を残しました |
| ケロッグ・コーンフレーク |
療養所を経営していたケロッグ博士は、患者が退院した後も、自宅で、療養所での健康食が続けられる様にと、健康食品の通信販売をしていました。 消化吸収の良いパンを作りたいと考えた博士は、試行錯誤を続けますが、小麦のパン生地をローラーにかける行程が うまくいかないために、毎日、失敗の連続。 ところが、ある日、ローラーが急に故障して止まってしまいました。博士は、パン生地がすっかり乾燥してしまい、薄いフレーク状のものができているのを、偶然、発見します。インスタント・シリアルのメーカーとして、世界最大のケロッグ社は、パン作りの失敗から誕生したのでした |
| HEINZ・ケチャップ |
17世紀、中国の船乗りの間でケー・ツィヤップと呼ばれていた塩漬け魚の裏ごしが、イギリスに伝わり、レモンなどを加えて作った調味料として流行しました。ヨーロッパのケチャップには、当時、トマトは使われていませんでした。 ケチャップが現在の様な味になったのは、アメリカから。ラブ・アップルと呼ばれ、珍しがられていたトマトを、新しいもの好きのアメリカ人が、ケー・ツィヤップと混ぜ合わせたところ、どんな食べ物にでも合う美味しいソースが完成したのでした。HEINZが成功を収めた理由は、容器にありました。他社が混ぜ物を隠すために不透明な瓶を使ったのに対し、品質に自信のあったHEINZ社は、中身がよく見えるように、透明の瓶に詰めたのでした。 HEINZの標準サイズ(約400グラム)の瓶には、およそ、トマト25個が使用されています |
| リーバイス・ジーンズ |
1853年、リーバイ・ストラウスがカンバス地で、最初のズボンを作ったという伝説は、事実とは異なります。ドイツで生まれ育ったストラウスは、18歳でアメリカに渡って以来、20年以上、ごくふつうの衣料品販売で、 生計を立てていました。 ある日、ストラウスは顧客の仕立屋から、1通の手紙を受取ります。それは、鉱夫から金塊や鉱石をズボンのポケットに押し込むと縫い目がほつれるという苦情が多いために、馬具用のリベットでポケットを止めるというアイディアを思いついたので、そのアイディアを買ってほしいというものでした。特許を登録する金が無かった貧しい仕立屋は、ストラウスに頼んできたのでした。 ストラウスは手数料を払って、このリベットの特許を取り、こうして独創的なリベット留めオーバーオールは完成。 「労働者の丈夫なズボン」として、大ヒットするのでした |
| ヨーヨー |
古くから、ヨーロッパの貴族の間で流行し、ナポレオンの軍隊も、休憩時には興じたとされる「ヨーヨー」ですが、広く世界に伝えたのは、フィリピン人と言われています。 「ヨーヨー」とは、フィリピンの言葉で「返ってこい・返ってこい」という意味で、フィリピン人は、糸の端を輪状にして、回転軸に結ぶことによって、ヨーヨーが下まで降りた時に、いったん止まることを発見しました。 1920年代、アメリカに渡った1人のフィリピン人が、公園で、祖国で鍛えた腕前を披露しているのを見たアメリカ人実業家が、このおもちゃに目をつけ、商業ベースに乗せたことにより、世界中へと広がったのでした |